2012年6月24日日曜日

「白洲正子著作集・読書日記」



     「十一面観音巡礼こもりく泊瀬」  
                                 長谷寺-003 

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 台風4号、5号と合い連なって日本列島を縦断しておりますが、奄美群島も連日風雨が強く大荒れです。 嵐の真っ只中の深夜、自宅のメスの三毛猫の<アマミン>が浴室の網戸を自力で破って脱走しました。何もこんな日にと思うのは人間だけと思うでしょう。これで3回目。

昼近くになってシラ~とした顔をして、戸口で鳴いてます。案の定、首輪は有りません。<どこへ落としてきたの?>と尋ねても知らん顔。<もう、3本も落としてきたんだよ>と怒っても知らん顔。あと、2ヶ月で満1才です。この前も散歩の途中で1m50cm位の長さの<マハブ>とかいう蛇に遭遇。


 
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先に飼い主が気が付いて丸腰なのでどうしようかと思案しているのに、彼女は草を夢中で食べています。蛇が藪に隠れる頃になってやっと気が付く。のんびりしてるのかどうなのか?困った猫です。本物のハブでしたら一巻の終わり。 どうする積もりかね? 先々思いやられます。

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 先回は「近江の国の山から流れ出てきた樟の大木」に拘った話を始めて途中で終りになった。筆者が樟に拘っているのか、著者が樟に拘っているのか分らなくなってきたが、いずれにしてもこの樟がどのような訳で、この文章の中に現れて来たか考えなくてはならない。
 
先般も書いたように、「」は継体天皇とその一族の大和政権に対する政治的な抗争のドラマを象徴的に表しているのではないかと考える。ただ、白洲正子(敬称略)がハッキリと継体天皇の事をドラマの中心に取り上げて、話の筋を展開する事に躊躇する心情があるのではないかと思う。それを強く筆者は文章の行間に感じる。
 
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 読者もご存知の通り、白洲正子は鹿児島県の生んだ海軍大将樺山伯爵家の令嬢でもある。先の昭和天皇とも昵懇の中であることもご承知の通り。天皇家とは深い人的な交わりがある。 戦後の昭和史の研究の中で、現天皇家の始祖と考えられるのは継体天皇という学説があるのである。荒唐無稽な物では決してない。

仮にこれを白洲正子が著書の中で強く書きすぎると、天皇家の系譜は<万世一系>というスローガンを否定する事になる。そのことに対する躊躇いが白洲正子の心の中に有ったのではないかと思うのである。しかし、歴史学的に考えて継体天皇が越前か近江の何れかで出生されたとしても、元々の血筋が国内であるという保証は何もない。

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 最近の研究から考えて血筋の源を探っていくと、日本の地を飛び出し日本海を渡り、朝鮮半島に至る可能性がかなり高いというが実態のようだ。国内の朝鮮民族に対する(南北朝鮮を含めて)国民の感情的なモツレを知っていればこそ、なかなか踏み込めない、触りたくない事であったかもしれない。

それが<>という得体の知れない巨木の民話のような話に書いていく理由ではなかろうか。筆者でもこの作品を書く当事者であればかなり躊躇する。いかがであろうか。 それで筆者はどこの馬の骨か分らない瘋癲老人であるから、何の遠慮もないので自由に思った事を書いてみようと思う。ただ、真偽の責任は取らない心算である。その点ご理解いただきたい。 

 
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A・・・「白鬚神社」について
 以前にも書いたように滋賀県高島市鵜川にある「白鬚神社」は近江高島と大津市との行政区画の間の近辺にある神社でもある。比良山の山塊が琵琶湖に落ち込むような地域にある。全国に290社とも言われる白鬚神社の総本社である。

社伝によると垂仁天皇25年、倭姫命により社殿を創建したとされている神社である。白鳳2年(674年)、天武天皇の勅旨により比良明神の号を賜った。祭神は「猿田彦命」である。

ここから「比良=白」であることが類推できる。ではその語源はどこから来たか?
結論から言うと・・・・・・新羅Silla)=比良=白・・・・・それは何を意味するのか。
朝鮮半島に歴史上存在していていた新羅国の末裔が築いた日本での祖地ではなかったのではないか。わざわざ<白鬚>としたのは単なる当て字でもあろうと思う。当時近江高島の鵜川は要害の地というような重要な場所でも有る。

大嵐のとき比良山から巨大な樟の大木が琵琶湖に滑り落ちてきたという比喩はこの当たりのことを言っているではなかろうか。唯、具体的にその記述が何を指すのかはこれから考えていこうと思う。
 
今回の最後にあたって、<倭姫命>について少し書いてみたい。
 

 
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 文中の中に・・・・<磯城の厳樫本で倭姫命がここに8年籠った後、伊勢へ向かわれた・・・・と言う箇所がある。垂仁天皇の第四皇女であった倭姫命が白鬚神社の創建にかかわり、伊勢の地に天照大神を祀った皇女であり、これが斎宮の直接の起源であるとされている。倭姫命の実態は何者だったのだろうか。また、「邪馬台国幾内説」によって、彼女を卑弥呼に此定する説がある。話しはますます面白く複雑になってきた。初瀬の地は近江の高島の地とかなり密接な関係に有る様である。

次回は話から少し外れて、古代史に於ける日本と朝鮮半島の実態について書いてみたい・・・・・・・・・・とうとう話は日本の地を飛び出しそうである。


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