2012年6月30日土曜日

「白洲正子著作集・読書日記」



          「十一面観音巡礼こもりく泊瀬

                                             長谷寺-004



Wildeve 
 Wildeve.jpg
写真の薔薇は<花咲きかおまさ>さんの著作権が付いております。


 
奄美の梅雨の季節も大詰めを迎えました。 遠い東シナ海の果てには台風6号が発生し、今のところ然したる日本への影響はない模様。 本州一帯はこれから梅雨本番となるのでしょう。いずれにしても西南諸島は暑い夏の到来となります。




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 先回は著者がごく軽く触れている<樟の大木物語>について、筆者はその行間に深い意味を感じ取り、近江湖西地域と幾内・初瀬地域が密接な関係に有るという、著者のちょっとした文章に深く拘って、古代史に於ける朝鮮半島と倭(日本)の関係をさらに掘り下げてみようと思う。 樟と継体天皇、朝鮮半島情勢がキーワードとなるであろう。

朝鮮半島は日本海と呼称されている、あたかも大陸と日本列島の間に存在する湖のような部分の縁のような地域に存在する。下の地図はワザと逆さに張ってある。大陸の人間達から見ればこれが当たり前の見方ではないだろうか。つまり、日本列島は珊瑚礁のリーフの部分に当たる。日本海は沖縄の方言の呼称・インノーである。
 

                                      日本海周辺地図(大陸からの視点)

300px-Sea_of_Japan_Map.png 


 日本人は長年の初等中等教育の賜物の結果このような見方はせず、大陸とは独立した孤島のような感じでいるのではないか。大陸から見れば服の裾のヒレのような感じであろう。付属品でしかない。ということは地政学的に大陸と決して切り離せられない存在である。この辺の感覚の違いを理解してもらいたい。

このことは中国にしても、ロシアにしても、朝鮮にしても、日本の地は我が物と考えてもあながち無理からぬものがある。下世話に言えば<欲しくて、欲しくて仕様がない土地である。
いかがであろうか。 これが数千年に渡って日本が隣国の全てと、相い争ってきた現実を見れば納得するであろう。


朝鮮神話伝承の研究」 (依田千百子 瑠璃書房1988)・より参照

map2.gif 

そこで、上下二枚の地図を見ていただきたい。 対馬海峡は黒潮と呼ばれる暖流が遡って来る。朝鮮半島から人間が意思を持って日本に向かった時、黒潮は大きな影響を与える。古代の船は風以外に動力はない。帆がない船は海の流れに任せるだけとなる。

新羅から日本を目指すと、暖流に流されて島根県、鳥取県、福井県に至るであろう。現在の日本の経済を中心とした見方からすれば、この辺りは過疎化が進んでいる裏日本である。しかし、古代日本に於いては表日本であった。江戸時代でさえ北前船が若狭から蝦夷地に向かって航行していた。現在の東京などは古代日本に於いては辺境も同然である。
 
 
                     
                      Bossanova

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 琵琶湖の湖西沿岸に今も名称の残る和邇という豪族は、若狭から玄界灘までをその勢力範囲としていた。つまり島根から若狭までの一帯は新羅と密接な関係が有るのは地政学的に見て当然であろう。 琵琶湖の湖西岸にある比良、白鬚のSilla新羅 と先回書いた理由をご理解頂けるであろうか。

古代日本はこの朝鮮半島の諸国家と相争ったり、朝貢を受けたり、同盟を結んだりして来た。百済と新羅は戦争状態の時が多く、結局新羅・隋の連合軍に滅ぼされた。百済からは仏教や様々な文化がもたらされ、古代日本文化の発展に大きく寄与した。古代日本においては朝鮮半島の諸国が先生であり、われわれは生徒の立場でしかなかったのが現実の姿で有ったであろう。

 Sneprincess Sneprincesse.jpg 


 白鬚神社が全国に290箇所もの末社を持つのは、この神社の位置関係からして、古代の日本民族とは異質の民族が祀った社であるという見方のほうが、ごく自然な見方ではないだろうか。この神社の創建に関わった倭姫命邪馬台国の卑弥呼と比定されている)が新羅とどのような関係に有ったかは筆者には分らないが、この神社が並みの神社ではない事は確かである。まして、後年彼女が伊勢神宮の斎宮になって行くのであるから、ますますその感は強くなる。

高句麗、高麗、任那など朝鮮半島の古代国家と当時の日本は密接な関係に有ったが、これらについては今は対象外にしておこう。今の関心は新羅と百済である。ここで筆者は「継体天皇」について語らなければならない。継体天皇は謎の多い天皇である。一説には現在の天皇家の始祖でもあるとされている。

 Redoute3  Redoute3.jpg


 継体天皇の出自は近江高島越前三国朝鮮半島という三つくらいの説が有る。読者の中には「継体天皇の出自が朝鮮半島とはなんだ!」とお怒りになられる方も居られるかも知れないが、いま少しお付き合い願いたい。次回はこの天皇のややこしい出自と大和に至るまでの長い道程の話をしてみたい。

どうも「十一面観音巡礼」も危うく脱線しそうな雲行きである。


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2012年6月24日日曜日

「白洲正子著作集・読書日記」



     「十一面観音巡礼こもりく泊瀬」  
                                 長谷寺-003 

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 台風4号、5号と合い連なって日本列島を縦断しておりますが、奄美群島も連日風雨が強く大荒れです。 嵐の真っ只中の深夜、自宅のメスの三毛猫の<アマミン>が浴室の網戸を自力で破って脱走しました。何もこんな日にと思うのは人間だけと思うでしょう。これで3回目。

昼近くになってシラ~とした顔をして、戸口で鳴いてます。案の定、首輪は有りません。<どこへ落としてきたの?>と尋ねても知らん顔。<もう、3本も落としてきたんだよ>と怒っても知らん顔。あと、2ヶ月で満1才です。この前も散歩の途中で1m50cm位の長さの<マハブ>とかいう蛇に遭遇。


 
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先に飼い主が気が付いて丸腰なのでどうしようかと思案しているのに、彼女は草を夢中で食べています。蛇が藪に隠れる頃になってやっと気が付く。のんびりしてるのかどうなのか?困った猫です。本物のハブでしたら一巻の終わり。 どうする積もりかね? 先々思いやられます。

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 先回は「近江の国の山から流れ出てきた樟の大木」に拘った話を始めて途中で終りになった。筆者が樟に拘っているのか、著者が樟に拘っているのか分らなくなってきたが、いずれにしてもこの樟がどのような訳で、この文章の中に現れて来たか考えなくてはならない。
 
先般も書いたように、「」は継体天皇とその一族の大和政権に対する政治的な抗争のドラマを象徴的に表しているのではないかと考える。ただ、白洲正子(敬称略)がハッキリと継体天皇の事をドラマの中心に取り上げて、話の筋を展開する事に躊躇する心情があるのではないかと思う。それを強く筆者は文章の行間に感じる。
 
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 読者もご存知の通り、白洲正子は鹿児島県の生んだ海軍大将樺山伯爵家の令嬢でもある。先の昭和天皇とも昵懇の中であることもご承知の通り。天皇家とは深い人的な交わりがある。 戦後の昭和史の研究の中で、現天皇家の始祖と考えられるのは継体天皇という学説があるのである。荒唐無稽な物では決してない。

仮にこれを白洲正子が著書の中で強く書きすぎると、天皇家の系譜は<万世一系>というスローガンを否定する事になる。そのことに対する躊躇いが白洲正子の心の中に有ったのではないかと思うのである。しかし、歴史学的に考えて継体天皇が越前か近江の何れかで出生されたとしても、元々の血筋が国内であるという保証は何もない。

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 最近の研究から考えて血筋の源を探っていくと、日本の地を飛び出し日本海を渡り、朝鮮半島に至る可能性がかなり高いというが実態のようだ。国内の朝鮮民族に対する(南北朝鮮を含めて)国民の感情的なモツレを知っていればこそ、なかなか踏み込めない、触りたくない事であったかもしれない。

それが<>という得体の知れない巨木の民話のような話に書いていく理由ではなかろうか。筆者でもこの作品を書く当事者であればかなり躊躇する。いかがであろうか。 それで筆者はどこの馬の骨か分らない瘋癲老人であるから、何の遠慮もないので自由に思った事を書いてみようと思う。ただ、真偽の責任は取らない心算である。その点ご理解いただきたい。 

 
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A・・・「白鬚神社」について
 以前にも書いたように滋賀県高島市鵜川にある「白鬚神社」は近江高島と大津市との行政区画の間の近辺にある神社でもある。比良山の山塊が琵琶湖に落ち込むような地域にある。全国に290社とも言われる白鬚神社の総本社である。

社伝によると垂仁天皇25年、倭姫命により社殿を創建したとされている神社である。白鳳2年(674年)、天武天皇の勅旨により比良明神の号を賜った。祭神は「猿田彦命」である。

ここから「比良=白」であることが類推できる。ではその語源はどこから来たか?
結論から言うと・・・・・・新羅Silla)=比良=白・・・・・それは何を意味するのか。
朝鮮半島に歴史上存在していていた新羅国の末裔が築いた日本での祖地ではなかったのではないか。わざわざ<白鬚>としたのは単なる当て字でもあろうと思う。当時近江高島の鵜川は要害の地というような重要な場所でも有る。

大嵐のとき比良山から巨大な樟の大木が琵琶湖に滑り落ちてきたという比喩はこの当たりのことを言っているではなかろうか。唯、具体的にその記述が何を指すのかはこれから考えていこうと思う。
 
今回の最後にあたって、<倭姫命>について少し書いてみたい。
 

 
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 文中の中に・・・・<磯城の厳樫本で倭姫命がここに8年籠った後、伊勢へ向かわれた・・・・と言う箇所がある。垂仁天皇の第四皇女であった倭姫命が白鬚神社の創建にかかわり、伊勢の地に天照大神を祀った皇女であり、これが斎宮の直接の起源であるとされている。倭姫命の実態は何者だったのだろうか。また、「邪馬台国幾内説」によって、彼女を卑弥呼に此定する説がある。話しはますます面白く複雑になってきた。初瀬の地は近江の高島の地とかなり密接な関係に有る様である。

次回は話から少し外れて、古代史に於ける日本と朝鮮半島の実態について書いてみたい・・・・・・・・・・とうとう話は日本の地を飛び出しそうである。


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