茜ちゃんの「白洲正子著作集・読書日記」-006
[十一面観音巡礼ー聖林寺-006]
神宮寺ー02
natuhaze
さて先回は近江(滋賀県)堅田(大津市)にある旧官幣神社・下神田・神宮寺の不動明王について書いてみた。ご存知の通り、近江は古代から連綿とした歴史深い地でもあることから、様々な文化遺産が地上にも地下にも建設、埋設されている地でもある。
現在の大津市の中心部は大津京とも言われてきた土地柄だが、この辺りから琵琶湖の西岸は湖西と呼称されている。この辺りは小高い丘陵地帯と背後に1000m近い山岳地帯になっており、丘陵地帯には夥しい古墳が存在し、古墳の間に民家が有るのかと錯覚するぐらいの観を為している。
戦国時代以前は相当の数の神社仏閣が存在していたであろう事が伺える。織田、豊臣、徳川のすざましい騒乱の中で、どれ位の神社・仏閣・文化財が焼却、破壊、盗掘、盗難にあったことであろうか。正確なところは今もってわからない。
神宮寺の中の仏像やその他の文化財もかなりの物が、現在の土地以外のところから移動されて来たようである。 その中には相当な規模の大寺に安置されていた仏像・その他の文化財も含まれて居り、それ故、小さな祠や観音堂に全く不釣合いな仏像を発見するなどということがある。
十一面観音国宝第一号の北近江・高月の向原寺内の渡岸寺の十一面観音菩薩像などは、その代表的な存在である。現在は寺の横の収蔵庫の様な観音堂の中に数体の密教系の仏像と一緒に安置されている。 この観音像を一目見るだけで、戦国時代以前は相当な規模の大寺院に安置されてきた仏像と、すぐ理解が行くほどの名品である。
戦乱の最中、信仰厚い集落の人達によって、仏閣から運び出され土中に埋められ、或いは彼方此方を流転し、世の中が安定し始めてた江戸時代になってから、急ごしらえの観音堂や祠のような建物に安置され、守られてきたものと考えられる。北近江にはこのような仏像に限っても、素晴らしい名品が数多ある。
ここで、筆者が体験した一例を紹介してみよう。
現在の大津市小野と云うところに、多くの古墳に挟まれる様に、小野道風神社という社が有る。ご存知の小野一族の俊才、小野道風を祭った重要文化財である。その傍に小さな観音堂・「花達院」がある。ここには三十三観音、不動明王、毘沙門天が2件の建物に分散して祀られている。
ところが筆者が調べてみると、その配置に大変な間違いをしていることがわかった。
本来ならば
「正確な仏像の配置の仕方」
<毘沙門天> <観音堂> <不動明王>
するところが、
「現在の仏像の配置の仕方」
<観音堂> <毘沙門天+不動明王>
となっている。この正しい配置の仕方は、比叡山延暦寺 横川に現存するお寺の、天台宗独特の配置の仕方である。 戦国時代のこのお寺も天台宗の末寺であった可能性は、非常に高い。この配置の間違いは山門堂舎記による記述から筆者が発見したもので、どのような経緯からこうなったかは、今となっては解らないが、恐らく錯誤によるもの、或いは金銭的な経済的理由によって、現在のような形になったものと推察される。
今となっては大変な費用が掛かるので、集落の方々の力だけで元の形に戻すのは大変難しいものとなっている。
*[山門堂舎記」によれば、嘉祥元年(848)に建立された比叡山横川の首楞巌院の根本観音堂には聖観音、不動明王、毘沙門天が随時する三尊が安置されていた。この組み合わせは円珍の考案になり、天台系寺院に多い。
花達院
左写真は隣の「毘沙門天・不動堂」
2件の堂内には、江戸時代 中期の作の仏像が多く、新しい感じの感触を受けた。 ただし、中央の「聖観音菩薩」は秘仏なので、33年に一回しか拝観出来ないので、この仏像はまったくどのようなお姿かは正確には解らない。 また、有ろうことか、最近になって十体程の観音像が盗難にあうという災難に遭遇した。
余談になるが、筆者は観音信仰者なので、毎週1回この観音堂を参拝していたが、どういう訳か筆者が盗難に関与したかのような誤解を周りの住民から受けたこともあった。一部の愚かな者の讒言によるものと思うが、えらい迷惑を受けたものである。
以後も、各地で度々文化財が盗難に遭い、幾重知れずになっている。闇の窃盗グループが暗躍しているのであろう。仏像などがこのような者達によって海外に売られていく事は、明治時代以降数々有ったが、今もって続いていることは慙愧に耐えない。
近江だけでなく、関西一円でも明治時代の愚かな廃仏毀釈によって、似たような悲劇が数多く有ったものと推察される。 現在は立派な収蔵庫に安置されている仏像でも、以前は神社などの軒下に店晒しになって、雨風に打たれ無残な状態になっていたようである
聖林寺の「十一面観音菩薩」においても然り。日本人は世界に稀なる文化を育みながらも、心無い一部の民衆によって、数多くの文化財を自らの手で打ち壊し、廃棄してきた民族である。 今でも新築の家屋を建てるにあたって、容赦なく古い家屋を破壊し、廃棄するという事が行われている。それが<格好が良い>という観念が日本人の頭のなかに存在するのも事実である。それは石の文化と木の文化の民俗学的な違いから来るのであろか。
文化財保護法と言う法律によって、様々な文化財が旧に復するようになったが、海外に持ち出された物は、ほとんど手の施しようが無いのも事実で、明治時代の一部の無知な為政者の失態は考えて余りあるものが有る。
ただ、この悲劇が100%仏教関係者、特に神社仏閣に起居して居た者達に、責任が無いとは決して言えないと思う。一部の常軌を逸した行為をなした者達の腐敗が招いた悲劇だとも思う。日本に限らず古代中国においても然り。 宗教の修行者が職業従事者になった時に、このような悲劇を引き起こすのであろう。正に、神罰、仏罰の類である。
少し話があらぬところに行ったが、次回は「十一面観音巡礼」に戻りたいと思う。
1-<サワラチャンのビーチ・コーミング>
貝の採取と蒐集日記
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