* 樹木・野草の写真は<花咲かおまさ>さんに著作権があります。
今年の梅雨は晴れの日がやたら多く、陽の燦々と差す日が続いております。空梅雨でしょうか。今日も晴れ。ここ1週間ほど続くそうですが・・・・
2台のコンピューター(PC)の突然のダウンで、ブログ作業は大混乱!。なにせ、離島故、全て自分でやらねばなりません。都会のように応援なんて土台無理。
以前の事を思い出しつつ、手探りでやっていく。どうもメールからウイルスに感染したらしい。全てPCを洗い換えして全てのデータを入れ直し。幸い他に数台PCが有ったから良いもの、無かったら途轍もなく時間が掛かる。
昨日、大潮の干潮日なので近くの太平洋岸の於斎という海岸で<ヤクシマダカラ>を探していたら、この日に限ってうねりが強く、携帯電話を海水に濡らしてしまった。携帯での撮影画面はお釈迦。 何かに祟られてる感じ!
それでも何とかPCを復旧させて、ブログを書くことになりました。随分予定が狂ってしまいました。
さて、先回は白山信仰と十一面観音と水について書いてみましたが、今回は少し続きを書いてみたい。
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2台のコンピューター(PC)の突然のダウンで、ブログ作業は大混乱!。なにせ、離島故、全て自分でやらねばなりません。都会のように応援なんて土台無理。
以前の事を思い出しつつ、手探りでやっていく。どうもメールからウイルスに感染したらしい。全てPCを洗い換えして全てのデータを入れ直し。幸い他に数台PCが有ったから良いもの、無かったら途轍もなく時間が掛かる。
昨日、大潮の干潮日なので近くの太平洋岸の於斎という海岸で<ヤクシマダカラ>を探していたら、この日に限ってうねりが強く、携帯電話を海水に濡らしてしまった。携帯での撮影画面はお釈迦。 何かに祟られてる感じ!
それでも何とかPCを復旧させて、ブログを書くことになりました。随分予定が狂ってしまいました。
さて、先回は白山信仰と十一面観音と水について書いてみましたが、今回は少し続きを書いてみたい。
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geraniumpurat
奈良時代の修験道の行者・泰澄が十一面観音を念じて、霊場として名高い白山を開山し、十一面観音を本地とする妙理権現を感得し、以来白山は現在に至るまで白山信仰の霊場として有名である。
先回もご紹介した美濃の横蔵寺は白山の山懐にある天台宗の古刹である。冬の1月の寒い日に、西国33ケ所の結番・谷汲寺を出発して、まだ霜柱が立っているような山道をひたすら横蔵寺目がけて歩きとおした事があった。12kmほどの距離であったと記憶している。
白 山
寺に参拝する目的はなかった。以前からの習慣であるが、寺に参拝するという意識は希薄な方で、目的は仏像にお会いするという意識が遥かに強いのである。その時も寺の方はどうでも良く、「大日如来」にお会いしたさに4里の山道を歩いたのである。
しかし、寺に着いてみると、3月までの冬の期間は参拝不可であるという。雪深い山里の寺ならでのことではあった。文句を言うわけにも行かず憔悴して寺を後にした。この大日如来は大変な名品で、円成寺・大日如来に勝るとも劣らない仏像である。
作者は「筑紫講師」とか記されているが、彫技は明らかに鎌倉時代の慶派ものである。恐らく都の名だたる仏師の手がけたものであろう。運慶一派の者であったに違いがない。それだけの名品である。不思議な事に一般の文献にはほとんど紹介されていない。・・・・・学者さんいったいどこを見てるんだ!・・・・と文句を言いたいぐらいでは有るのだが。
katakuri
私が参拝して大日如来にお会いしていたころは、村のお祖母ちゃんがお守りをしていた。朝に晩にお世話をしていたようである。八十を超えたであろう古老であった。その内何時の間にか会えなくなった。仏の身許に旅立たれたのであろう。そのような生活が何とも羨ましくもあったのを今でも記憶している。
この仏像には京都のとあるデパートでの観覧会で円成寺の大日如来と共に、あとは横蔵寺で数回である。何ともご縁のある仏像である。現在は自宅の仏壇の中央にお写真として安置されている。何方にでもご縁の深い仏像はあると思うが、筆者には都合3体の仏像がある。
横蔵寺の大日如来、室生寺の十一面観音、渡岸寺の十一面観音である。いずれも密教の仏像である。渡岸寺の十一面観音の傍にはとうとう住み着いてしまった。人と佛との関係はなんとも不思議である。
koreopusismoon
十一面観音菩薩はバラモン教の十一面の暴神である、エーカダシャ・ルドラ(十一面荒神)が仏教に取り入れられたとされている。梵名はエーカダシャ・ムカ(十一の顔)。十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経によると、10種類の現世利益と4種類の来世での果報をもたらすそうである。しかし、直接に水に関係するものは見受けられない。わずかに「水不能溺」があるのみ。
筆者の事で恐縮ではあるが、九星学で言うところの「一白水星」であるが、七十年弱の人生をつらつら振り返ってみると、いつも海の傍、湖の傍に住んでいることは間違いない。現在も自宅から数十mに大島海峡がある。本能的に水を求めるようである。水の傍に住むと敗れないという確信が私の心に中にある。
何時も貧乏生活では有るが、とことん貧することはない。何時の間にか窮地から脱している。危ないなあ~と思っていると、何時の間にか助け舟が現れる。どうしてかは未だに解らない。 そのような事だから、知らぬ間に十一面観音に信仰を持ったのは自然な成り行きなのかもしれない。屁理屈かもしれぬが・・・・・
十一面観音は水に深いご縁のある佛と思っている。
kurematisroman
白洲正子(敬称略)がどのような事から十一面観音とご縁を得たかは、筆者には解らない。だが、白洲家の墓所の白洲正子の墓石に刻まれた、梵字を見た時なにかしらこの方と心のレベルでのご縁を感じた事は確かである。
「能面」が縁を作ったのか、「十一面観音」がご縁を作ったか、そのいずれでもあろう。未だ一度もお会いした事もない方である。相模と武蔵の境の「武相荘」、今現在住んでいる「鹿児島県」・・・・いずれも白洲正子に縁のある傍に住み住んでいたし、住んでいる(奄美は少々外れているが県内ではある)。少しも意識してそうしたわけではない。気が付いたらそうなっていた。筆者の人生は何時もこうである。
kurematisujack
HPを捲っていたら、平成21年2月18に書かれた、川尻 祐一郎という方の投稿を偶然見ることができた。この方は治水事業の技術者のようである。東海地方の矢作川農業水利事業のことから始まって、北近江の土地改良事業などを手がけられたらしい。その中で白洲正子の「十一面観音巡礼」等を読まれ、その中の文章を引き合いに出され、「水と十一面観音」との密接な関係を書かれておられた。
偶然に捕まえたHPではあったが、北近江が出てきたのには少々おどろいた。「お水取り」「お水送り」「水分(みくまり)」etc・・・・水と十一面観音との縁(えにし)が事細かに書かれてある。読み進むうちに筆者の能書きなどまったく不必要になった。(気になる読者は検索してもらいたい)
次回は「穴太の成安寺」、「泊瀬」(長谷寺)」に移って行きたい。大分足踏みしてしまった。
本日よりFC2版と同時にブログ公開しましす。
