2012年6月11日月曜日

白洲正子著作集・読書日記


   「十一面観音巡礼こもりく泊瀬

         長谷寺-
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* 野の花の写真は<花咲きかおまさ>さんの著作権があります


西南諸島・奄美群島もいよいよ梅雨本番となり、滝のような豪雨が未明から降り始め、谷川の方から濁流のすざましい音が聞こえてきます。急峻な山の斜面を一挙に流れ落ちて薩川湾に注ぎこんでいきます。本州も東北地方まで入梅したとか。兎にも角にも大きな災害なしの梅雨で終わって欲しいと願うだけです。

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 いよいよ十一面観音巡礼の旅も近江の地を離れて、飛鳥の鬼門である東北の地、初瀬に辿り着いた。 この地は初瀬、泊瀬、長谷といろいろな呼び方が古来からされてきたようである。筆者も初瀬街道は車で一度通過したことがあるだけで、大方は近鉄の線路の上を何度も通過するだけであった。 長谷寺という寺名の寺は他に何ヶ寺か有るようであるが、鎌倉の長谷寺(高徳院)と初瀬の長谷寺しか知らない。

筆者が始めて長谷寺に向かった時は、ちょうど百合の花の咲く頃のことである。桜井方面から初瀬街道を宇陀方面に向かって車を走らせた。初めての土地の事とて、地理が良くわからない。地図など持たないで出向くのが筆者の何時もの癖で、頭の中の地図帳便りに進むものだから、長谷寺を通り越して初瀬ダムの方まで行ってしまった。

             桜の頃の長谷寺(舞台造り)
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 当時は車の駐車場が無かったような感じで、あちこち探し回った記憶がある。やっと、車を置き当てずっぽうに歩いて、何時の間にか長谷寺の本堂に入り込んでしまった。白洲 正子(敬称略)のように長い廊下を歩いて向かった記憶が無い。
帰る頃になって、やっと長い下りの廊下を発見して、下の方に降りて行った。

美しい花が廊下を中心にして咲いており、さすが花の寺だと感心したものである。花を愛でる為に廊下が有るのか、廊下が有るから花を植えたのかは知る由もなし。それにしても花好きの筆者には充分満足のいく寺の参拝であった。
 

                 御朱印帖
長谷寺
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 「御朱印帖」を見てみると、<昭和61年7月28日>となっている。日付からみると聖林寺を参拝してそのまま初瀬街道に戻って、長谷寺に向かったようである。もう昭和も終わりのドン詰まりの頃である。その時は大阪の葛井寺も訪れていた。この時はこの寺で如意輪観音菩薩を拝顔する予定であったが、それはかなわなかった。

良く調べもしないで、分ったつもりで行動する達であるから、時々このような目に会う。それでも理外の理というものか、不思議にそれほど立ち往生はした事はない。何かしら助け舟が出てくれる。しかし、葛井寺だけはそうはいかなかった。ここの観音様と縁が無かったのだろう。そのように今も思っている。

   
           御朱印帖・聖林寺と葛井寺         
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 長谷寺の十一面観音は何度も何度も災難に会われて居られるのには驚いている。白鳳時代の神亀六年(730)、四月八日の開眼。
身の丈、二丈六尺の巨像である。
          二丈六尺 = 7.87878788 メートル PCで計算する上記の通り。仏像の場合「丈六」という呼び名があるが、釈迦の身長が一丈六尺(4.85m)あったことから、この名の由来があるそうである。丈六より大きな仏像を大仏と言うそうである。鎌倉の高徳院の長谷の大仏は11.39mとか・・・・・・初瀬の現在の観音は10.18m・・・・見上げるような・・・・・でも、仏像には申し訳ないが何か有り難味がいまひとつ感じられなかった。ただ、余りにも大きいので驚きが先に立ったのかもしれない。天文七年(1538)では・・・江戸時代か・・などという不届きな考えが頭を過ぎったのかもしれない。 

               
十一面観音菩薩立像
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 それよりも、白洲正子の書かれたこの本の文中で、長谷の観音の由来が事細かに書かれていた事の中に、仏像の原木が近江の高島郡の深山から流れ出て、琵琶湖に浮かんでいた由来を発見して驚いた。継体天皇の御世だという。

継体天皇は近江高島の出生の方であるというのは、先般筆者が書いたとおりである。出生地は高島の現在の近江今津の近くであるが、現在の近江高島の少し手前に「白鬚神社」という神社が湖畔の際にある。ここは可也由緒のある土地柄と言う事を白洲正子が書いていたのを、以前どこかで読んだ事がある。案外、この事、この場所が樟の巨木が流れ落ちた由来の地ではなかろうかと思うのである。
 
             白鬚神社
湖中の鳥居
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 筆者も一度訪れた事がある。比良山の山塊が琵琶湖に落ち込むような難所でもある。ここの湖の中に鳥居を祭った神社がある。案外、筆者の当てずっぽうがドンぴしゃりかもしれない。今後すこし調べてみたい。そして、この仏像の製作者の仏師が渡来人であろうとされ、藤原鎌足の弟、その子の二名とも書いてある。

当時、藤原鎌足は仏教の擁護者、物部守屋は神道の擁護者であった。仏師の正体が誰か、信ずるに足らないと白洲正子は書いてはいるが、それは案外真実かもしれない。以前書いた事であるが、近江には「物部」という地名がある。藤原も物部も渡来人なのであろうか。案外そうかも知れない。日本の古代歴史のダイナミックな鼓動を感じる。
 
古代史の素人がこんな事を書くと、専門家に笑われるかもしれないが・・・・


        sekkouboku
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