白洲正子(以下敬称略)は聖林寺から三輪神社に向かった。 奈良の山辺の路の途上にある、山そのものがご神体であり、拝殿のみしかないと言う神社である。三輪神社にはかって神宮寺が三社あり、聖林寺の十一面観音菩薩はその中の大御輪寺(おおみわでら)に祀られていたとされている。 筆者は車で奈良の中心部から長谷に抜けるとき、幾度も側を通る事があったが、時間の関係で立ち寄ったことはなかった。
大御輪寺(おおみわでら)

先々代の住職が大御輪寺の住職を兼任していたという。両者の間に歴史的に特別な関係が有って、その縁で後日観音は聖林寺へ移送されたのであろう。話はその後<即身成仏>に移るが、この話は次回以降に行うとして、本日は「神宮寺」について書いて見たい。
神宮寺は三輪神社だけでなく日本各地にあるようである。 神仏混交という日本独特の信仰観から来たものであろうが、この宗教慣習は遠くインド伝来のものであろう。特にアジア人の宗教慣習の中にはこれと類似したものが多いのはご承知の通りである。
私が以前住いしていた滋賀県大津市の堅田という琵琶湖の港の近くの「神田神社」という歴史深い神社があった。 ここにはどのような訳か、近所に同じ名称の神田神社が存在し、ひとつは上神田、もうひとつは下神田と、在所の方々は呼んでいた。鬱蒼とした木立、山などを社内に持つ歴史深い神社である。
神田神社 神宮寺
ここには柱にも見えるように、不動明王が祀られている。なかなか扉が開かない神宮寺で、筆者も毎週必ず神社を礼拝する時、最後にこの神宮寺を訪れて、不動明王に礼拝する習慣になっておりました。 或る時、お会いしたいと言う願いが通じたのか、戸の隙間が空気の換気の為か少し開いていた。
是は有りがたいと思い、僅かばかり開いていた戸の隙間から中を覗いてみた。
薄暗がりの中の奥に、等身大の不動明王がお立ちになっておられた。
お姿は鮮明には見えない。 このサイズの不動明王はなかなか有るものではない。この堂のレベルでは精々数十センチメートル位の仏像が殆どである。
後日、また、チャンスに出合うことが出来た。 夏の虫干しでこの堂内にある「大般若経」を戸を大きく開いて、数人の氏子と思しき人達が行っていた。
すぐさま、彼らの了解を得て堂内に入り、礼拝しながら中央に堂々とお立ちになられて居られる、不動明王を見つめた。
三井寺 黄不動尊
すぐさま、彼らの了解を得て堂内に入り、礼拝しながら中央に堂々とお立ちになられて居られる、不動明王を見つめた。
三井寺 黄不動尊
上記三井寺の黄不動尊とほぼ同じ、平安時代位まで遡るであろうと思われる、素晴らしい不動明王であった。 何故、平安時代頃まで遡れると思ったかは、白洲正子著作集のある文章の写真を良く覚えていたからに他ならない。
仏像は鎌倉時代などは殆どだと思うが、木佛の場合は木地の上に漆を塗る。そしてその上に彩色をしていくものである。 不動明王は密教の仏像であるから、彩色は絢爛豪華である。漆は木地を守る事に役立つ。
能面の場合も筆者はたまたま面打ちを手がけるから知っているのであるが、面の裏は漆を塗るのが正規な造作の仕方である。そして、面の木地には最初胡粉を塗り、その上から彩色を行う。その際、昔は仏像でも、能面でも「白土」という乾くと白さが際立つと言う、奈良の特定の場所で産出する土を用いる。これを白洲正子の著書に書かれていたのを思い出したのである。
その、神田神社の神宮寺内の不動明王のお姿の彩色が落ちていた部分に、白土を発見したのである。その時、筆者はこの不動明王が唯の一般のお寺の仏像でないことを悟った。 しかし、この仏像の来歴は誰もわからないという。古老の話では戦国時代の騒乱の中で、焼け出された寺から持ち出された仏像で、今となってはわからないと言うだけであった。
本日はこの辺りで筆を置き、次回もこの続きを書いてみたい。
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